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和歌山見所.NET”高野山特集”

夏休み高野山特集??

真言密教の聖地高野山

高野山の歴史

 高野山は和歌山県伊都郡、紀ノ川の南方、海抜100メートルの山上にあり、周囲を高峰に囲まれた東西6キロ南北3キロの盆地である。
 今から1200年前の昔、大同元年(806年)弘法大師が唐より帰朝後、真言密教の道場を開くため、都塵を離れた幽玄の地を紀伊、大和の山中に探し求め、この地に嘱目なされた。弘仁7年(816)、ここに真言道場を開きたき旨を、時の帝、嵯峨天皇に上奏して高野の地を賜ったのである。当時賜った地域は広範なもので寺領一万町歩といわれている。翌同八年、諸弟子及び工人等多数を伴い登山され、開山に着手なされた。これが高野山金剛峰寺のはじめである。
 承和2年(835)、伽藍の完成を待たずして大師御入定があり、高弟の真然大徳がその後を継ぎ伽藍を完成。以来仏教各流の衆禅の大道場として栄え、徳川時代の正保の頃には大小2000に余る寺坊が廂を並べた。この反面には数々の火災と内紛等による興亡の岐路に立つことも多々あった。その後、元禄の大整理、明治維新の大変革を得て今日に至る。
      高野山の現況
 明治維新に際し、寺領及び外山の森林等を全て国家に奉還し、山上を以って境内と定めた。現在は伽藍と奥之院の両壇を中核に総本山のほか117ヵ寺あり(うち宿坊寺院53ヵ寺)、これを主体として約1000戸の商家と、4000の人口が山上に住み、全高野町勢の半数を占めている。また高野町の各機関は総てこの山上に置かれ、全国でも稀に見る境内街を形成している。
(参考 高野山ガイドブック)

奥の院について

 
奥の院の入り口の一の橋から弘法大師の御廟まで2キロ、この間の参道両側に、老杉を交えて、苔むした五輪碑が立ち並ぶ景観は全国でも珍しく、高野山独自のものと言える。
この参道の墓群について少々駄文を連ねてガイドの役割を果たしたい。ここに墓標が建て創められたのは、鎌倉時代かと推測されるが、その当時のものは形も小にして、その数も少ない。もっとも盛んに健碑の行われたのは江戸時代であり墓碑の形態も大きく立派なものになったこれは徳川幕府の平和政索に基づくもので、徳川家においても高野山に家康の霊廟を建て、祖先崇拝の風習を強く押し奨めたため、全国各地の大名は競ってここに墓城を構え、次々と健碑が進められたのである。また一説には徳川の政索として全国の大名に兵馬の養う財力を、こうした方面に消費せしめたとも言われているが、とにもかくにも交通は不備にして機械力がない当時の高野山において、石材の総てを瀬戸内海辺りの産地から運ばせたもので、一基の健碑と言えども容易の業でなかったと思われる。これは徳川の平和政策の所産とも言えるが、また一面大師の膝元へという願いが秘められていたに違いない。その後、一般市民のこれに習い宗旨の別れなく、続々と健碑が行われ、今日の大墓群を成したものである。ここに群がる墓石の数は大小合わせて10万基とも言われ、その大半は徳川期又はそれ以降の健碑と見られるが、それ以前の古いもので、由緒あり年代の詳名ものは史跡にも指定されている。


根本大塔


 前の大塔は天保14年に焼失、それ以来、約100年もの間その姿を見出せなかったが、弘法大師の1150年御遠忌に際し再建が計画され、昭和12年(1937)に完成した。この塔の形容及び内部の荘厳など真言密教の根本理念を表徴することから根本大塔と呼ばれる。高さ約50メートル、虚空にそびえる丹色の姿は壮麗である。

金剛峰寺"大師の教え”


真言宗は、弘法大師 空海(以下 お大師さま)の立教開宗による、仏教の心髄の教えを説く密教の宗派です。

お大師さまが中国へ渡り、時の都長安(現在の西安市)で、密教の伝承の第7番目の祖、青龍寺 恵果和尚より授かった密教を広く日本へ伝える為に開かれました。

密教の根本の仏様は、宇宙の本体であり絶対の真理である大日如来を本尊とし、真言は「オンアビラウンケンバザラダトバン」です。お大師さまは、一切の衆生を救う為にこの真言宗を開創され、人々に密教の教えを広く流布されたのです。(参照 http://www.koyasan.or.jp/oshie/index.htm 高野山真言宗 総本山金剛峯寺l)

 大門は高野山の歴史高野一山の総門である。開山当時は今の大門の左前方のやや下った所に華表を建て、高野山の山門としたが、後に現代の場所に楼門が建てられた。前のものは元禄元年に焼け、今の建物は宝永2年(1705)に再建され、解体修理が行われ、昭和61年(1986)に完成したものである。門前からの眺望はよく、天気の冴えた時は紀淡海峡から遠く淡路、四国の山々を見ることができる。門前左の赤い鳥居の道を600メートルほど登ると高野山最高峰、弁天岳にたどり着く、展望はすばらしく、また道の中間までは昔のままの原生林が残っている。
大門(重要文化財・写真左) 金剛峰寺(写真左・現代主殿は屋根の葺き替え中)

高野山”大門”

高野山に参詣するには、「高野七口」といわれる七つの登り口があった。この大門口もその一つであり、高野開山の当初から開かれ、弘法大師が御在世の頃、都への行き返りにお通いなされた表登山口である。
 その当時、山麓に一院を設け、ここjに政所を置いてふもとの拠点とされた。これが今の慈尊院である。ここには大師の御母公がしばらくお住まいになり、この地で入寂なされた。また中腹の天野神社には、高野山の地主神がまつられて、共に高野山とは不離一体の深い関係にあった。ゆえにこの口は、山の上下を結ぶ大きな役割をしていた。
 またこの口は、数回にわたる天皇の行幸、将軍の登山など、表登山口として栄光の歴史を持ち、1000年余り栄えてきた。しかし明治の中頃から、不動坂口の方に交通機関が開けたため、この登山口次第に寂れ、ついには表参道に雑草が茂り鎌倉時代に建てられた町石のみが昔を語る状態となった。それから約50年の歳月が流れ、昭和36年、道路公団により新しく古沢谷から自動車道が開かれて今は車による多くの登山者を大門が迎えている。

 

高野山町石畳

紀伊半島を東西に流れる紀ノ川のほとり、和歌山県九度山町から町石畳をたどると、標高800メートルの山上盆地に弘法大師が開いた高野山がある。町石二百十六基すべてが現在も完全に揃っているのは驚異的だ(参照 聖地巡礼 伊勢文化舎)

高野山”伽藍”

金堂

 創建当時は講堂と呼び、弘法大師が伽藍の造営に当たり最初に建立されたものである。創建以来しばしば火災に遭い、現在の建物は昭和7年の再建。本尊に薬師如来を祀り、高野一山の本堂である。内部の壁画は木村武山の筆。

御社

弘法大師が伽藍開創に当り、鎮守として地主神丹生、高野の両明神を勧請、のち気比、厳島の2神が祀られて四社明神という。建物は大永2年(1522)再建。

金堂(写真左)・御社(明神社、写真右)

伽藍について

 弘法大師の高野山開山の目的は、真言密教の根本道場として、伽藍を創設することにあった。そのため高野山開山当初にこの伽藍の地が拓かれ、まず講堂(現代の金堂)を創建、ついで鎮守として高野明神(現在の御社)を勧請され、引き続き大塔その他諸堂が建立された。
 なかでも大塔の造営は大事業であり、弘法大師とその後を継いだ真然大徳との二代にわたって完成されたのである。
 伽藍の完成から約130年、正暦5年(994年)に大塔に落雷があり伽藍を全焼する被害に遭う、その後、天保14年(1843)の大火災まで前後5階に渡り再興しては火災に遭い、そのつど全焼に近い痛手を受ける。思えば災難でつづられた歴史である。
 天保の火災後、大師の遺徳のもとに、関係初師の精進と信者の篤志により逐次再興が進められ、昭和12年に大塔の再建も成り、今日の伽藍の姿を整えたのである。ただ、惜しまれるのは、古い歴史に比較してその健物が新しく、いささか物足りなさを感じる。そのうち不動堂だけは明治41年に一心院谷からこの伽藍境内に移され、鎌倉時代の優美な姿を見せ続けている。

真言宗詳細

真言宗(しんごんしゅう)は、空海(弘法大師)によって9世紀初頭に開かれた、日本の仏教の宗派。真言陀羅尼宗(しんごんだらにしゅう)、曼荼羅宗(まんだらしゅう)、秘密宗(ひみつしゅう)とも称する。空海が中国(唐時代)の長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としている。

同時期に最澄によって開かれた日本の天台宗が法華経学、密教、戒律、禅を兼修するのに対し、空海は著作「秘密曼荼羅十住心論」(ひみつまんだらじゅうじゅうしんろん)、「秘蔵宝鑰」(ひぞうほうやく)で、顕教と比べて、密教(真言密教)の優位性を説いた。真言宗は真言密教専修であり、真言密教を最上位に置いた。

天台密教を「台密」と称するのに対し、真言密教を「東密」と称する。

真言宗の密教は東寺を基盤としたので「東密」と呼ばれた。

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高野山ブログ紹介

高野山奥の院・大門

高橋健の日記 : 高野山が霊峰だったわけ

行きにくかったからです。僕がまだ高校生の頃だったと思うが、そのときにはまだ簡単に行ける道はありませんでした。電車でふもとまで行ったあと、普通はバスに乗るのですが家族の都合でタクシーに乗るという選択肢しかありませんでした。

で、乗ったタクシーの運転手の会話は今でも覚えています。

高野山に向かってえらい良い道が作られているんですわ。今僕らが行っている道、くねくね曲がってなかなかたどりつかないでしょ?この「苦労した」という感じが現地に着いたときに「ああ」と思う仕掛けの一つだと思うんですわ。それがまっすぐな道がドーンとできてあっという間についてしまう。

毎天開心! 写真日記: 高野山女人道を歩く

予定通り出かけてきました。なぜか歩いている時に誰にも出会いませんでした。 紀伊山地の景色が印象に残る良い一日でした。 Img_4015. せっかくなので高野山内も一通り回ってきましたが、今日はこの1枚だけにしておきます。 2008.04.26 22:00 写真日記

高野山旅行日記(4) Sweets Junkieな日々/ウェブリブログ

高野山旅行日記(4)で書き忘れましたが、おみくじを引きました。 お寺なのに?と言われそうですが、お寺と一緒に神社もあるのです。 明治時代以前は、神仏を一緒に祭っていました。 詳しいことを知りたい方はは、調べてみてください。 ...

∞thanks you∞ | 高野山日記 その4

高野山日記 その4. 赤い旗 <奇跡にあう> 翌日(3/8)は特別拝観の日です。 やすみっちゃんは、先ず龍光院に行くと申しましたので、丁度その時お宿を出られた方々と共に龍光院へ参りました。 ちーちゃんも勉強不足でもあり、龍光院には何があるん

[高野山] - へんろ加藤の雑念日記

南海電鉄の高野山ガイド(http://www.nankai.co.jp/koyasan/index.html)で、高野山のテレビコマーシャルが見られます。空海伝説編はよくできていて、空海さんがかっこよく描かれています。親子編は関西らしいオチのあるストーリーでこれはこれで和みます

初秋の温泉ツアー(^^;(^^;(^^; #8 高野山 - のんびり旅日記

温泉・神社仏閣めぐりがメインのスローな旅日記. ... 龍神温泉から約40kmの龍神スカイラインを抜け高野山へ。 不思議なもんで、スカイラインを走っている最中は雨が降っていたが、 高野山に入ったとたん晴れていた。。。 3連休の初日ということもあり、

社長日記…高野山 奥の院-ノエビア販売代理店 福岡天神販社

先日ブログに、東寺について書きましたが、空海ゆかりのもう一つのお寺に、高野山があります。

空海は二十代の頃、全国の山を歩きながら、修業していた時期があります。
唐に渡る少し前まで、山伏のような修業をしていたそうです。

日本に帰ってきて、東寺を賜りそこを、造営していきました。
その後に修業する場所を、新たに創る事になりました。

若いときに全国を修業していた場所で、一番良いと思った場所が高野山でした。
そこで、その場所に修業する為のお寺を造りました。
販社の達成旅行で、二回程行きました。

先日ブログに、東寺について書きましたが、空海ゆかりのもう一つのお寺に、高野山があります。

空海は二十代の頃、全国の山を歩きながら、修業していた時期があります。
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日本に帰ってきて、東寺を賜りそこを、造営していきました。
その後に修業する場所を、新たに創る事になりました。

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 南海電鉄の高野山ガイド(http://www.nankai.co.jp/koyasan/index.html)で、高野山のテレビコマーシャルが見られます。空海伝説編はよくできていて、空海さんがかっこよく描かれています。親子編は関西らしいオチのあるストーリーでこれはこれで和みます。是非一度ご覧ください。

高野山CMへの直リンク

http://www.nankai.co.jp/koyasan/cm/index.html

↓高野山女人堂(上)と奥の院入り口(2006.12.20)

∞thanks you∞ | 高野山日記 その4

そのお部屋は、お大師様が3/21ご入廷されたその御部屋であり、
お大師様は弥 尊のお像の前で、ご入廷されて49日間そのお部屋で皆様の世話を受けたそうです。50日目に今の奥の院にお移りになられ、高野山から皆様の幸せを見守っていると聞いた途端、ちーちゃんも感極まり静かに涙を流そうと、今、正に泣こうとした時、やすみっちゃんが泣いて・泣いて・泣いて、もう号泣状態です 。(先をこされた)
お大師様の、民の為に 民が幸せである為に 
というそのお心を受け取ったと思われる位です。
その後、やすみっちゃんはその場を離れがたかったらしく、何回も何回もそのお部屋に入りお大師様と対待しておられました。

初秋の温泉ツアー(^^;(^^;(^^; #8 高野山 - のんびり旅日記

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you are welcome !! | 高野山日記

高野山は、およそ1200年前に、弘法大師によって開かれた、真言密教の修行道場であり、全国に広がる高野山真言宗の総本山です。
標高およそ900m。
山の上の盆地に、壇上伽藍と称する聖地があります。そこには、さまざまなお堂や塔が立ち並び、 仏像や曼陀羅が参拝者を迎えます。
また、うっそうと杉の樹の茂る奥の院には、太閤秀吉から太平洋戦争の英霊まで、さまざまな人々のお墓が立ち並んでいます。

代表的なのは、金剛峯寺と奥の院!!

「大阪おうどんの会」日記(ブログ) : 高野山 〜宿坊 持明院でお精進料理〜

「大阪おうどんの会」日記(ブログ) : 高野山 〜宿坊 持明院でお精進料理〜

高野山の宿坊 持明院の精進料理 一の膳
3700円
宿坊でのお精進料理は、個室で、ゆったりと食べることが出来ます。修行僧が、お給仕をしてくださる以外は、お部屋もお庭もサービスも雰囲気も、高級旅館のよう・・・。
予約:宿坊組合:0736-56-2616

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